不思議な臨終の話

私が医師になってもうすぐ三十年になりますが、身内を診るのはどうも苦手でニュートラルになれず、どうしても病状を軽く診てしまったり、予後を楽観視してしまうのです。おそらく一般に医者とはそういうものではないでしょうか。

私には苦い経験があります。昭和五十九年、歯科医である叔父が食後の胃部不快を訴え、当時私が勤務していた大学病院で胃透視を行いました。

 

結果は血液検査も含め異常なしでした。胃薬だけで様子を見ていたのですが、しばらく経ったある晩、突然腸閉塞をおこし順天堂大学病院に救急入院となりました。緊急開腹手術が行われた結果、膵臓癌の腹膜播種と判明しました。

 

手の施しようもなくそのままお腹を閉じました。もっと詳しく検査をしておけばと悔やまれてなりませんでした。

 

次第に腹水も溜まるようになり、経口摂取も困難になりIVHのみによる栄養になりましたが衰弱は進行し悪液質を呈し、ついに昏睡におちいりました。担当医から明日までは無理でしょうと宣告され、私は夜中に駆けつけました。

 

反応は全くなく、下顎呼吸でしかもたびたび呼吸は停止し死期が迫っているのは誰が見ても明らかでした。

 

「肉体を救うことはできなかった、しかし魂が救われれば・・・」との思いで私は叔父の眉間にむけて手をかざしました。

 

三十分ほどしたでしょうか、しかし反応は全くなく、臨終が近づいているのがひしひしと感じられました。翌日は外来の勤務がありましたので、後ろ髪を引かれる思いで病室を後にしたのです。

 

午後、ふたたび病室を訪れた私は、わが目を疑いました。そこにはベッドに座り新聞を開いている叔父の姿がありました。しかも話をしているのです。自分の葬儀に関することなどを書き記し、まるで死を達観しているような振る舞いでした。

 

早朝、診察にきた主治医はキツネにつままれたような顔をして、なにも言わずに出て行ってしまったそうです。

その後容態はみるみる回復、流動食、お粥も摂れるようになり、IVHもはずれ、病室内を歩けるようになったのです。

 

それまで腹腔いっぱいに拡がっていた癌による痛みも腹水も嘘のように消え、穏やかな日々が続きました。ちょうど三週間たった日のことです。叔父は呼吸を大きく三回し、目をつぶり眠るように息を引き取ったのでした。苦しみのない安らかな最期でした。

 

その年の秋、今度は祖母の臨終に立ち会うことになります。胃癌の手術後、回復することなく坂を転げ落ちるように容態の悪化した祖母を私は東京のがんセンターから自宅に引き取りました。術前は通常の生活を送っていた祖母でしたが、嚥下時のつかえを精査した結果、噴門部癌だったのです。それがあと二、三日の命と宣告されてしまったのです。

 

自宅の一番上座、床の間のある和室に寝かせましたが私がしてあげられる医学的処置はなにもありませんでした。「ただ孫として祖母の魂を救いたい・・・」という一心で私は祖母の辛かったところに手をかざしはじめました。

 

仕事の合間を縫って時間の許す限り祖母に付き添い三日三晩が経過し、祖母は黒いすすのようなものを胃から吐き続けました。しかしその間も不思議と苦しむ様子はありませんでした。私は祖母の眉間に手をかざし続けそのまま汐が引くような穏やかで静かな最期を見送ったのです。

 

医師としては後悔の念を拭えませんでしたが、孫としては何故か思い残すことはありませんでした。

自宅葬が行われましたが、弔問に訪れる人々は皆、驚きの表情を隠せませんでした。それは、七十五歳の祖母の顔がだれがどう見ても四十歳まえにしか見えなかったからです。実に三十五歳以上は若返ったことになります。

 

実は祖父は四十歳で先立っておりました。もしあの世というものがあるとすれば、祖母は三途の川を渡り四十歳の夫に再会するはずです。七十五歳になった自分を夫に見せたくなかったのでしょうか・・・。

 

私は二人の三十五年振りのあの世での再会を想像し、微笑ましく想い、これでよかったのだと自分に言い聞かせるのでした。

 

ヒトの臨終ばかりではありません。

ある年の瀬の夕刻、患者さんから真鯉をいただきました。食べてくださいと言われましたが、生きている鯉を食べるのは忍びなく、明日の朝になったら近くの川に放してあげようと思い風呂場のタライに泳がせました。

 

当時、集中治療室の専従医であった私は再び病院に戻り仕事を済ませ、帰宅したときは零時を回っておりました。

 

入浴しながらふと鯉をのぞいて見ますと、浮き上がって横になり、口をパクパクさせています。あのときすぐに川に放してやればよかったとかわいそうになりました。「そうだ、鯉にも魂があるに違いない・・・」と思い直し、私は鯉の眉間に手をかざしていたのです。

 

数分が経ったでしょうか、真っ黒なうろこがみるみる朱色に変化しはじめました。ついには全体が朱色に染まってしまいました。さらに手をかざし続けますと、こんどは朱色が金色へと変化しだしたのです。

 

やがてうろこの辺縁とヒレの部分を朱色に残し、全てが金色に染まりました。初めは眠気のせいかなと思いましたが何度目をこすっても金色なのです。

 

そのとき鯉は急に元気を取り戻し泳ぎはじめたかと思えば、こんどは体の反対側を上に向けたのです。するとそちらはなんとまだ元の真っ黒いままだったのです。

 

「こっちにも手をかざしてよ」と言っているように思えて私はそちら側にも手をかざしつづけました。するとまたしても朱色に続いて金色へと染まっていったのです。ついには真鯉が金の緋鯉に変身してしまいました。

 

翌朝、妻に「食べるなよ!」と言い残しあたふたと集中治療室に出勤しました。

 

カンフェレンスのあと医師やスタッフにゆうべの不思議な出来事を話していますと、助教授が怒り出しました。仕事中不謹慎と注意されるのかとおもいますと、その鯉の前後の写真はないのか、データを示せといわれました。

 

あわてて家に電話をしますと、妻は「食べるなといわれたので、干瓢問屋のおばさんにあげてしまいました」といいます。

 

すぐに借りてきて写真を撮ろうとしましたが、ときすでに遅し、味噌漬けにされてしまっていたのです。ただそのおばさんはもらうとき「金色の鯉ですね」といったそうです。

 

鯉にもあの世があるのならおそらく三途の川を金色の緋鯉になって悠々と渡っていったのではないかと想像しています。

もしあの世があれば、この世での個人の人生の経験や努力は臨終で途切れてしまうことはなく、永遠に続き、生かされることになります。そのほうが理に適っているように思えます。

 

それにしても、手をかざすことによるこの不可思議な変化はいったいどこからくるのでしょうか・・・。
最後まで私の「はなし」におつきあい下さり、ありがとうございました。

 

平成21年5月29日

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