歯科検視をされていた和田先生の紹介で、警察医の話を頂いたのは平成15年春のことでした。

それまで検死というものは大学勤務時代に2、3件経験しただけで、内科医である私は全くの門外漢であり正直不安もありました。

 

しかし、変死という最後を迎えた方々になにか役に立つことができればという思いでお受けする決意をしたのです。

ところが、経歴と身上書を県警に提出しましたが、数カ月経っても内示が下りません。

 

思想や素行は大丈夫だろうかと、思わず自分を振り返ってしまいました。内示を頂いた時何よりも日本国民として初めてお墨付きを頂けたという不思議な安堵感を覚えた自分でした。

 

平成16年4月1日の辞令を待たずして、正月早々に検死の依頼がありました。その時後頭窩穿刺を生まれて初めて経験することになりますが、佐藤義行刑事課長の的確なアドバイスの下、透明・清な髄液を採取することが出来ました。以来、穿刺不能を経験したことは殆どなく、始め良ければ全てよしと自己満足しています。

 

大学病院のICU専従医時代には多くの心筋梗塞や急性左心不全を診てきましたが、医療現場では迅速な処置や治療がなされるため、無治療で経過するような劇的な理学所見に遭遇することは稀といえるでしょう。死者の男性老人は自宅居間で発見されました。

 

顔面はうっ血し、側臥位で泡沫状の血痰が鼻口腔に充満し、右手を前胸部に当てており、急性心不全による肺水腫に合致する所見であり、心筋梗塞が疑われました。

 

一酸化炭素中毒死は自殺と事故、2つの原因があります。自殺には事前の準備状況からおおよそ、それであると推定できます。事故は思わぬ原因で起こるものです。

 

河川敷に停められた自車の運転席で死亡していた27歳男性。車は完全にロックされエンジンキーはオンの状態で、心臓血CO濃度は30ppm以上でした。

 

一酸化炭素がどこから車内に侵入したかはその後の検証に委ねられたのです。その結果、車両外の運転席底部のCO濃度が42ppmで排気筒に穴が空いていたことが解りました。車両整備を怠っていなければ、命を落とさずに済んでいたでしょう。

 

これまで183名の検死に立ち会ってきましたが、自殺や事故死には心を痛めます。前途ある若者が学業や人間関係が原因で自らの命を絶った現場に臨場するとき、やるせない想いが募り、私情を抑えるのは容易ではありません。

 

特に優秀な医学生が進級で挫折して短絡的に死を選んでしまう時、死以外の選択肢は無数にあるではないか!と叫びたくなります。私のように波乱万丈に苦労を重ねた人間と違い、秀才として順風満帆の短い人生しか経験していないガラスのような若者の弱さなのかも知れません。

 

この原稿に向い、日付が変わってこの医学生の検案書を読み返していた午前1時、死亡日時の欄に目をやりました。その日こそ8年前に亡くなった彼女の命日だったのです。

 

私に何かを訴えたいのでしょうか?それとも後進に対する他山の石(医師)になろうとしているのでしょうか。

心よりご冥福を祈るものであります。

合掌

2012.11.17

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